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聖歌は生歌

聖歌は生歌

復活節第5主日

 
《A年》
46 神の注がれる目は
【解説】
 その詩編の18節から答唱句が取られている、詩編33は、創造主、救い主である神をたたえる賛美の詩編です。6
節の「星座」(ヘブライ語の原文では「軍勢」)は、天にいる神の軍隊のことで、神の栄光を示し、その命令を実行する
ものです。6節には、「神(原文では「主」)」の他に、「ことば」「いぶき」という語句があることから、教父たちは、「こと
ば」=神のことばであるキリスト(ヨハネ1:1)、「いぶき」=聖霊、と考え、この詩編には三位一体の秘義が隠されて
いると考えました。
 答唱句は8小節と比較的長いものです。前半は「神」と言うことばが三回出てくることや、神のやさしいまなざし=
「目」を強調するために、旋律は高い音が中心となっています。特に、「目」は最高音のD(レ)の二分音符で歌われ
ます。二回出てくる八分休符は、次の「神」の「か」をアルシスとして生かすためのものですが、バスは八分休符では
なく四分音符で歌われ、どちらも精神を持続させながら緊張感を保ちます。
 後半の「希望を」では、「きぼう」で旋律とバスの音程が2オクターブ+3度開き、バスのオクターヴの跳躍で、ことば
が強調されています。
 詩編唱はドミナント(属音)から始まり、同じ音で終止し、下一音(Fis=ファ♯)以外はすべて上方音というところは、
グレゴリオ聖歌の手法が生かされています。答唱句、詩編唱ともに、最後は順次進行で下降し、落ち着いて終止し
ています。
【祈りの注意】
 解説に書いたように、答唱句は8小節と比較的長いので、全体に、緊張感を持って歌う必要があります。とは言え、
早く歌う必要もないのですが、間延びすることのないようにしましょう。そのためには、まず、冒頭の「神の」の「の」の
八分音符が遅れないように、言い換えれば「かみ」の四分音符が長すぎないように、と言うことです。最高音D(レ)が
用いられる「目」は、この詩編でも歌われるような、いつくしみに満ちた神のまなざし、十字架の上から、愛する弟子と
母に向けた、キリストのまなざしを表すように歌ってください。高い音なので、どうしても、音を強くぶつけてしまいがち
(「メー」)ですが、そのように歌うと、怒りと憤りに満ちた音になってしまいます。高い棚の上に瓶をそっと置くような感
じで、声を出すようにするとうまく歌えます。
 「ものに」は、アルトが係留を用いているので、やや、rit. しますが、これは、分かるか分からないか程度のもので
す。決して、「あ、リタルダントしたな」と思わせないようにしましょう。後半に入ったら、すぐに、元のテンポに戻しま
す。最後の「希望を」は、少し、テヌートして「希望」をしっかりとこころに刻みましょう。
 最後は、rit. することはもちろんですが、やや、dim. もすると、安心して答唱句の祈りのことばを終わらせることが
できるでしょう。
 答唱句のテンポは「四分音符=88くらい」ですが、冒頭は、これよりやや早めのほうがよいかもしれません。
第一朗読では、初代教会の助祭の選出のことが語られます。この箇所では、共同体の奉仕者は「“霊”と知恵に満ち
た評判のよい人」を選出するように使徒たちは語ります。この霊と知恵は、人間の努力によって得られるものではな
く、まさに、神の恵みのほかなりません。叙階式で、司教は、司祭・助祭候補者にいくつか決意の表明を聞きます
が、その最後に受階者は、「神の助けによって望みます」と答えます。今日の答唱詩編から、わたしたちは、共同体
と神とに奉仕する、すべての教役者にいつも聖霊が注がれることを願い、また、キリスト者すべてが、神の愛にいつも
希望をおきながら、父を見ることができるように祈りたいものです。
【オルガン】
 答唱句は、どちらかと言うと、やや、明るいストップを用いたいものです。弱いものなら、プリンチパル系の8’を入れ
たり、人数によってはフルート系で2’を入れてもいいかと思いますが、あくまでも答唱詩編なので、派手なものは避
けるようにしましょう。答唱句の前奏をだらだらと弾いていると、それは、いつの間にか会衆にも伝わってゆくもので
す。前奏には、特に、心配りをしましょう。そのためにも、準備の段階から、第一朗読も十分に味わっておくことが必要
だと思います。練習の時には、第一朗読も含め、前奏までも間合いもしっかりと練習しておきましょう。

《B年》
32 神に向かって
【解説】
 詩編22は、キリストが十字架上で叫んだことばです(マタイ27:46他参照)。前半(1-22)で詩編作者は神に苦
難を訴え(176 わたしの神 「受難の主日」参照参照)ます。ここで、歌われる後半は、救いを体験した作者が、神
の民の中で神に感謝することを誓います。
 答唱句は、冒頭、旋律が「神に向かって」で和音構成音、「喜び歌い」が音階の順次進行で上行して、最高音C
(ド)に至り、神に向かって喜び歌うこころを盛り上げます。また、テノールも「神に向かって」が、和音構成音でやは
り、最高音C(ド)にまで上がり、中間音でも、ことばを支えています。前半の最後は、6度の和音で終止して、後半へ
と続く緊張感も保たれています。
 後半は、前半とは反対に旋律は下降し、感謝の歌をささげるわたしたちの謙虚な姿勢を表しています。「感謝の」で
は短い間(八分音符ごと)に転調し、特に、「感謝」では、いったん、ドッペルドミナント(5度の5度)=fis(ファ♯)から
属調のG-Dur(ト長調)へと転調して、このことばを強調しています。後半の、バスの反行を含めた、音階の順次進行
と、その後の、G(ソ)のオクターヴの跳躍は、後半の呼びかけを深めています。
 詩編唱は属音G(ソ)から始まり、同じ音で終わります。2小節目に4度の跳躍がある以外、音階進行で歌われます
から、歌いやすさも考慮されています。また、4小節目の最後の和音は、答唱句の和音と同じ主和音で、旋律(ソプラ
ノ)とバスが、いずれも3度下降して、答唱句へと続いています。
【祈りの注意】
 答唱句は、先にも書いたように、前半、最高音のC(ド)に旋律が高まります。こころから「神に向かって喜び歌う」よ
うに、気持ちを盛り上げ、この最高音C(ド)に向かってcresc.してゆきますが、決して乱暴にならないようにしましょ
う。また、ここでいったん6度での終止となりますし、文脈上も句点「、」があるので、少し rit. しましょう。ただし、最
後と比べてやり過ぎないように。後半は、テンポを戻し、「うたを」くらいから、徐々に rit. をはじめ、落ち着いて終わる
ようにします。
 答唱句、全体の気持ちとしては、全世界の人々に、このことばを呼びかけるようにしたいところです。とは言え、がさ
つな呼びかけではなく、こころの底から静かに穏やかに、砂漠の風紋が少しづつ動くような呼びかけになればすばら
しいと思います。
 今日の詩編は、先に読まれる「使徒たちの宣教」に応えます。サウロ(のちのパウロ)やバルナバたちの宣教によ
り、福音はギリシャやローマ世界にまで広まり、現在では、「遠く地の果てまで、すべてのものが神にたち帰り」、神
のいのちに「生きる喜びでいつも満たされ」ています。わたしたちは、わたしたちも受けたこの神の「わざを次の世代
に語り継ぎ、後から生まれてくる民に、その救いを告げ知らせる」のです。
 詩編を歌う方は、この、福音を告げ知らせずにはいられなかった、使徒たちの活き活きとした喜びを、詩編で黙想す
ることができるように、自らも、この喜びにこころを躍らせてください。答唱句を歌うわたしたちは、福音がわたしたちの
ところにまで伝えられたこと、また、わたしたちがそれを語り伝えることができること、これらの恵みを神に感謝して歌
いたいものです。
【オルガン】
 基本的には明るいストップがよいでしょう。フルート系の8’+4’、あるいは、8’、4’のどちらかをプリンチパル系に
するか、人数が多い場合には、2’(人数によって、どちらを用いるかを選択する)を加えます。この答唱句も、前奏が
もたもたすると、「喜び歌い」という躍動感がなくなってしまいます。解説に書いた留意点に心を配りながら、会衆が活
き活きと答唱句を歌えるように、前奏をとりましょう。

《C年》
18 いのちあるすべてのものに 
【解説】
 この答唱句は、詩編から直接取られたものではありませんが、詩編145全体の要約と言うことができます。この、
詩編145は、詩編に7つあるアルファベットの詩編(他に、9,25,34,37,111,112,119。 詩編の各節あるい
は数節ごとの冒頭が、ヘブライ語のアルファベットの順番になっている)の最後のものです。表題には「ダビデの賛美
(歌)」とありますが、この「賛美」を複数形にしたのもが「詩編」(ヘブライ語でテヒリーム)とですから、詩編はとりもな
おさず「賛美の歌集」と言うことになり、詩編はまさしく歌うことで本来の祈りとなるのです。
 旋律は、ミサの式次第の旋法の5つの音+司祭の音からできています。同じ主題による123 主はわれらの牧
者がミサの式次第の旋法の5つの音だけだったのに対し、ここでは司祭の音であるB(シ♭)が加わりますが、ミサと
の結びつきと言う点での基本的なところは変わりません。それは、この二つの答唱詩編で詩編唱の音が全く同じで
あることからも分かると思います(⇒答唱詩編 のページ参照)。
 冒頭の「いのちある」では旋律で、最低音のD(レ)が用いられ、バスは、最終小節以外は順次進行が用いられるこ
とで、すべての被造物に生きるための糧=恵みが与えられる(申命記8:3参照)ことが表されています。終止部分で
は、バスで最低音が用いられて、それが顕著になると同時に、ことばも深められます。一方、「主は」に最高音C(ド)
を用いることで、この恵みを与えられる主である神を意識させています。この「主」の前の八分音符は、この「主」のア
ルシスを生かすと同時に、「すべてのものに」の助詞をも生かすもので、この間の、旋律の動きはもちろん、精神も持
続していますから、緊張感を持った八分音符ということができます。なお、「ものに」は、「の」にそっとつけるように歌
い、「にー」と延ばさないようにしましょう。
 詩編唱は、4小節目で、最低音になり、低音で歌うことで、会衆の意識を集中する効果も持っています。
【祈りの注意】
 答唱句は、旋律の動きはもちろん、歌われることばからも、雄大に歌うようにします。いろいろなところで、聞いたり
指導したりして感じるのは、

答唱句が早すぎる
のっぺらぼうのように歌う

の二点です。指定された速度、四分音符=60は、最初の速度と考えてみましょう。二番目に指摘した、のっぺらぼ
うのように歌うことのないようにするには、「すべてのものに」を冒頭より、やや早めに歌うようにします。また「いのち
ある」を付点四分音符で延ばす間、その強さの中で cresc. することも、ことばを生かし、祈りを深める助けとなりま
す。
 後半の冒頭「主は」で、元のテンポに戻りますが、だんだんと、分からないように rit. して、答唱句をおさめます。
なお、最後の答唱句は「食物を」の後で、ブレス(息継ぎ)をして、さらに、ゆったり、ていねいにおさめるようにします。
この場合「食物」くらいから、 rit. を始めることと、答唱句全体のテンポを、少しゆっくり目にすることで、全体の祈りを
深めることができるでしょう。
 第一朗読では、パウロとバルナバによるアジア州への宣教の模様が読まれます。ここでは、教会の宣教における
二つの重要なことが語られています。すなわち、

わたしたちが神の国に入るには、大きな苦しみを経なければならない
(神は)異邦人に信仰の門を開いてくださった

という二点です。わたしたちが「信仰」のゆえに人々にさげすまれ、のけ者にされるときでさえ、神は、その人々に対
しても、「恵みとあわれみに満ち、怒るにおそく、いつくしみ深い」(詩編145:8)のです。そして、わたしたちが「互い
に愛し合う」(ヨハネ13:34-35)姿を通して、その人たちも「〔神の〕国の栄光を語り、力ある〔神の〕わざを告げる」
ようになることを望んでおられるのではないでしょうか。
 わたしたちも、この詩編を味わいながら、パウロやバルナバが思いもよらなかったであろう、この、極東の地に、神
が「信仰の門を開いてくださった」(詩編145:8)ことに感謝しながら、この詩編を味わいたいものです。
【オルガン】
 基本的には、フルート系の8’+4’を用います。祈りの注意でも再三指摘したように、のっぺらぼうのように歌わな
いために、前奏から、きちんと、緩急をつけましょう。旋律もなだらかで、和音も複雑でないので、その分、オルガンの
前奏が、本当に祈りを導き出せるかどうかが問われる答唱詩編です。


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